エクレ-シアにおける女性の位置

エクレ-シアにおける女性の位置

- カトリック教会における女性叙階運動 -

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これは2003年7月、日本フェミニスト神学・宣教センタ-主催の夏季集中講座において「エクレ-シアにおける女性の位置:女性の信徒が女性聖職者と共に、教会・集会において何を悩み、何と闘っているか」と云うテ-マで、カトリック教会について発表されたリポ-トの要約である。

カトリック教会には女性聖職者はいないこと、いてはならないことになっています。 教会法では洗礼を受けた男子のみが有効に叙階されると規定され(1024274)、ロ-マは教理省の声明、教皇の使徒的勧告、書簡、その他を通して、女性は司祭に叙階されないこと、最近では助祭にもなれないことを追加して宣言しています。 根拠はイエスが男性であったこと、12使徒は男性から選ばれたからと云うことです。しかし、第二ヴァチカン公会議前後から起こった女性叙階運動は今日では世界的な動きになりました。 

日本では女性司祭が存在していないので、ヨ-ロッパ、アメリカなどで司祭になった女性たちがどのように叙階されたか、そして、どのような支持をその後受けているかを紹介します。 

1.チェコスロバキアの場合

社会主義政権下にあったチェコスロバキアでは、ロ-マと音信不通の時代、1970年の司教会議後、フェリックス・ダヴィデック司教が自分の良心に従って、獄中の修道女たちのために告白と聖体の秘跡を受けられるようにと何人かの女性たちを司祭に合法且つ有効な方法で叙階しました。 その一人、修道女ルドミラたちは時代が変わると、男性の司祭がいなければ一人ではミサを捧げることができないなど、聖職の活動は制限され、沈黙を強いられ、監視下に置かれるようになりました。 彼女たちはロ-マに手紙を書き、身の処し方を問い合わせ、指示を願いましたが、現在に至るまで返答はありません。 これらの事実が公にされたのは1995年ですが、今ではあちこちで活発になった教会変革のグル-プ(中央集権的で、権威の強化に対して起こってきている動き)やその一部とも受けとめられている女性叙階運動体などに招待され、そこで出会う女性、男性たちから理解と支持を得ています。

2.オ-スとリアとドイツの場合

昨年、629日ドナウ河の船上で250名にのぼる証人の参列する中、4名のドイツ人と3名のオ-ストリア人(内一名はアメリカとの二重国籍)の女性がかつてロ-マカトリック教会の司祭で、現在は「王たるキリスト・カトリック使徒カリスマ教会」のブラスキ-司教によって叙階されました。 彼女たちは有能な人たちで、殆どが神学博士の取得者でもあり、それぞれが自分の司祭職への召命を深く確信しています。 彼女たちは女性を差別する教義と教会法に抗議し、教会の指導者たちが女性の召命に正当なスペ-スを与えるように敢えて挑戦するとの声明を発表しました。 自分たちの行動はユダヤ教の律法を破ったイエスに倣うものだと位置ずけました。 ヴァチカンは直ちに破門の警告を出し、マグダラのマリアの祝日までに回心するように呼びかけましたが、彼女たちには対話の機会を願っても与えられず、破門に付されました。 

この出来事に関して教会の中では賛否両論ですが、比較的教育の機会がある国の信者たちは高い支持率を示しているようです。 その理由として、これは他者がとやかく云えない本人の信仰の問題であり、教会の規則は変えることができる、向こう見ずに見えても教会の中に霊が活発に働いているしるしであり、イエスや預言者たちも度々普通でないしるしを行ってきた等などです。 同時に、異端の烙印を押さないまでも、運動の分裂になるのではないかとの憂いもあります。

オ-ストリアでは、一人が過日司教に叙階されましたが、彼女を支持し、追従する共同体の中で要理教育、洗礼、ミサ、告白、病人の塗油、結婚式の司式などを執り行い、また、後輩の養成にも携わっています。 小教区の主任司祭の中にはこうした女性司祭の必要性を説教で訴えている人もいるそうです。

他方ドイツでは、公けに破門された者として、彼女たちはカトリック教会周辺での活動は許されず、プロテスタントの教会で講演会を開いたりしています。 今年の春、教会法学者であるイダ・.ラミングとル-テル教会からの改宗者イリス・ミュ-ラ-はアメリカに招かれ、5週間の講演旅行を行いました。 合計約6千人の聴衆を得て、かなりの反響と支持があり、これはアメリカのカトリック教会の一つの転機となる可能性があると云われています。

3.アメリカの場合

アメリカでは1970年代からの女性叙階を求める運動の中で、自分の共同体や司祭に推薦されて聖職に着いた女性が300人位います。 かつては少数派であったカトリック教会はラテンアメリカ、フィリピンやヴェトナムからの移住者も加わって信者数も増加し、ただでさえ司祭が不足しているところに司祭の老齢化が進み、また昨今メディアでも過剰に取り上げられた一部司祭のスキャンダル、又それに対しての司教の説明責任の欠如等などを前にして、教会改革への期待には拍車がかかってきました。 このような情況の中で、女性司祭職は現実的なニ-ドだとも云われます。 勿論これに対する批判もあります。 しかし、アメリカの歴史的社会的背景を顧みる時、声を自由に挙げ、議論できる素地、現実の必要性の中で解決の可能性を探ることなど、あの新天地を開き、あらゆる困難を越えて定住した人たちから受け継いだ勇気と大胆さ、また公民権運動、女性解放運動などを通して身に付けたものが今日のアメリカの教会の中にも脈打っているのでしょう。 教会で種々の形の奉仕を行ってきた適切な女性たちが主任司祭や共同体に推されて司祭に上げられた女性が生まれています。

4.日本の場合

   世界的なネットに連携するグル-プも形成され、イエスの時代、初代教会、中世の教会などで女性が担った役割を歴史的、聖書的、神学的に検証し、どのように教会に性差別が入り込んだのか、如何に助祭職が女性から剥奪されたかなどを学習し、また、現在の教会が直面する種々の具体的な問題について議論したりしています。 英国での女性司祭の叙階に向けて共に歩んだ国教会の女性たちのように、日本でも最近女性の司祭を叙階した聖公会の姉妹たちが関心を寄せ、支持と励ましを送ってきてます。 父権的、権威主義的である教会の中で沈黙し、見えない存在であった女性たちが目覚め、意識を変え、頂いた賜物を教会の発展のために用い、キリストにおいて一つであることを証することが望まれます。 まだ遠い道のりです。

5.叙階についてどのように考えたらよいのか

   叙階は神学的にはキリスト教共同体の中でそこに属す神の民に推されて、彼らに按手されて司祭になることです。 それは必ずしも使徒継承の司教による必要はなく、彼はペトロから代々伝えられるマジックのような力の働きによるのではなく、あくまでも神の民の代表としての按手です。 もし司教が役割を果たせないなら、叙階する権能を信徒が取り戻して執行し、独身男性で固められてきた祭司職が機能しなくなれば、準備された女性や既婚の男性が候補になるのは当然なことでしょう。 神の民が権能を取り戻す時が来ているのかも知れません。 そのような叙階式は教会の権威に対しての抗議として行うのではなく、神の民の集まり、エクレ-シアとして執り行われます。 破門された7人も神の民が按手してあの叙階を補えたらよいではないでしょうか。

伊従 直子

性は叙階され得るし、 される筈の七つの理由

ジョン・ワインガーズ著『女性はなぜ司祭になれないのか』


ジョン・ワインガーズ著『女性はなぜ司祭になれないのか』

John Wijngaards, The Ordination of Women in the Catholic Church, Darton Longman Todd, London, 2001, 204pp.

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